こんなことありませんか? その3
そうなんですよね。
すべての「何となく、イヤ」という感じが投影だというのではありません。
どんな場合でも自分や愛する家族の危険を察知したら然るべき対応を処するのがすべての人の権利だということには変わりありません。
ですから、投影に気づきましょう、といっても自分をだまそうとしている人はだまそうとしているなと見抜かなければなりませんし、誠実じゃない人は誠実ではない、とあるがままに見る力洞察力は大切です。
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そうなんですよね。
すべての「何となく、イヤ」という感じが投影だというのではありません。
どんな場合でも自分や愛する家族の危険を察知したら然るべき対応を処するのがすべての人の権利だということには変わりありません。
ですから、投影に気づきましょう、といっても自分をだまそうとしている人はだまそうとしているなと見抜かなければなりませんし、誠実じゃない人は誠実ではない、とあるがままに見る力洞察力は大切です。
北海道旅行へ行ったときに学びました。
積丹半島の神威岬にある神威岩にしても、海の守護神ではなくて、急に風向きを変えて舟人を困らせる存在であったし、知床半島の硫黄岳から落下するカムイワッカ、つまり神の飲水とよばれているものも、硫酸分が多くて、飲む者のいのちを縮めるおそろしい水であったそうです。
また各地に多いカムイミンタル(神の庭)、あるいはカムイロキ(神の坐るところ)などとよばれている地名も、あまり草の生えていない広場だったり、人の近寄れない山頂だったりして、善神・魔神の集って歌舞をするところだと伝えています。
それらの例を引いて「アイヌの人達の神という存在は、この世の中に実在して実生活の上に色々な陰騎をおとすものであって、多くは直接に食糧問題と密接につなかった動物神であるが、生活の上に小さな悪戯をする自然現象も、またはっきり魔神とはいわず神と呼んでいる」と『アイヌの神話』は説明しています。
重点を置くのはこれです。
ここで取り上げていることは、何だか知らないけれど自分にとってとにかくイライラさせる人のことです。
投影とは、そういう相手に対する洞察にプラスしてくっつけられた、自分の勝手な判断、個人的な反応を指します。
たとえばある人を「少し意地悪なところがあるな」と感じます。
その感じにさらに「だからダメなやつ」とか「つきあうのは危険」だとか余分なものをくっつけず、相手を断罪せずに、ただ、あるがままに見ることです。
この段階では投影はまだ起きていません。